私の実の母親の話をしたいと思います。
私が小学生の時、母親も多額の借金をしてしまい、母は自殺未遂をし、家庭は崩壊寸前に陥りました。
私の父は酒飲みで、酔っぱらうと家族に暴力を振るう人でした。
会社の近所のスナックで、ツケ払いでお酒を飲み歩き、家に帰ってこないことも頻繁にありました。
私が子供の頃の実家のお金のことは詳しくはわかりませんが、恐らく母は生活費が足りなかったのだと思います。
私の母も多額の借金をしていました
母は昼間は飲食店でパートとして働き、2時頃買い物をしながら家に帰ってきて、お昼寝をして夜ご飯を作ってから、5時頃家を出て、夜はまた違う飲食店で働いていました。
丸1日お休みの日はなかったと思います。
私には6歳上の兄がいますが、6歳も離れていると1人っ子が2人いるような感じで、生活を共にするということはあまりなく、私はいつも1人でいました。
小学1年生の頃から鍵っ子で、夜ご飯も1人で食べる毎日でした。
母もお酒が大好きな人だったので、父が帰ってこないと分かっている日は、深夜2時頃まで飲みに行っていることもしばしばありました。そういう日は兄と二人で留守番しています。
当時の日本はとても景気がよく、母はパートなのに20万円ほどのボーナスをもらっていたそうです。今ではとても考えられませんが。
母は外食が好きで、週に2回は私と外食をしていました。「こんなに外食ばかりして、お金はあるのだろうか。」子供ながらそう思っていた記憶があります。
習い事や塾も「行きたい」と言えば行かせてくれました。洋服は小さい頃、いとこのお下がりばかりを着ていたので、小学校高学年になる頃にはデパートで好きなものを買ってくれるようになりました。
兄もゲームやCDなどたくさん買っていたし、古い団地に住んでいること以外は特に不自由のない暮らしをしていました。
父が給料をいくら貰っていたのか、子供だった私は知らないし、母がどこからお金をいくら借りていたのかもわかりません。
でも、父は酒飲みで家でも外でも飲んでばかりいたので、家計は苦しかったのでしょう。母も相当金遣いが荒かったのだと思います。
私が小学校6年生の時、借金が原因で母は自殺未遂をしました。
海に飛び込んだのです。
でも、私と兄のことを思うと死ぬことができず、引き返してきました。
母が生きていて本当によかった。思いとどまってくれて・・・
この出来事があり、借金のことを知った父は、借金をしてしまった原因は自分にもあることがわかったのだと思います。
父は自らクレジットカード会社などに出向いて、利息を減らしてもらい、本来なら弁護士さんが行う債務整理を父が自分でやってしまいました。
父は見た目が強面なので、そんなことをできてしまったのです。
今の時代でそれが通用するとも思えませんが・・・(現在、債務整理をお考えの方は私の父のようなことはせずに、きちんと弁護士さんを通して行って下さいね。)
債務整理のためにとった手段かどうかはわかりませんが、両親は一度離婚をしています。その後すぐに籍を入れていますが。
母を見て育ったのに、同じことを繰り返してしまった
このようなことがあったため、私は子供時代からお金の怖さはよくわかっていたはずなのです。誰よりもわかっていたのに。
なのに母を反面教師にするのではなく、私自身も同じ過ちを犯してしまいました。
母も私もそうなのですが、クレジットカードの限度額を自分のお金だと勘違いしていました。
「母のように、お金で苦労するような人生は送りたくない」
そう思って生きてきたのに、同じことを繰り返してしまう私は本当に大馬鹿者で、親不孝者です。